023 豊かな心に出会う旅、その1
<出発前編―ビザは取れるのか??−>
ミャンマーへ旅行に行くことを決めたのは9月初旬。とりあえず航空チケットだけ抑えて、どこに行くか何を見るか宿はどうするかは追々考えましょう……、と、呑気にインターネットやガイドブックを調べては、浮き浮きしていたところ。「ビザ取れるかちゃんと確認した?」と友人からアドバイスが。慌てて大使館に電話したところ、個人でビザを取得するには三週間以上掛かるでしょう、とのこと。甘かった。一週間もあれば何とかなるだろう、とタカを括って大使館に申請に行くのをずるずる延ばしているうちに、気がつけば出発までは丁度三週間。え?え?え?どうすんの、ビザとれないじゃん、入国できないじゃん。
慌てて日本在住のPLGスタッフに相談しました。当人はとても丁寧で親切な方で、早速ビザ申請に必要な書類をメールで連絡してくれました。しかしその提出書類の多さにびっくり。ビザ申請書や写真はともかく、就業証明書あるいは給与明細、名刺など、予想もしていなかった書類の提出が義務付けられていたのです。うむむ、やはり旅行者にも厳しい国なのかしら。行動制限されるのかしら。しかし心配したところで始まらない、百聞は一見にしかず、行って自分の目で確かめねば。ビザが取れたらだけど。とにかく必要書類をアウンリンさんに託し、ビザ取れますように、ビザ取れますように、と祈り続けること10日。無事ビザ発給されたとの連絡を頂きました。それが出発三日前。これからミャンマーへ旅行される皆様、ビザはなるべく余裕を持って申請することをお勧め致します。
<いざ、ミャンマーへ>
無事ビザを取得していよいよ出発。ミャンマー国内には六泊七日、無理をすればヤンゴン・バガン・マンダレー・インレーとすべて回ることも可能ですが、折角だからのんびりした旅を楽しみたい……そんなわけで、バガンに三泊滞在し、それからガパリに一泊することにしました。行った先でゲストハウスを見て周り、その日の宿泊先を決めるのもいいかと思ったのですが、なんといってもミャンマーは高級リゾートホテルがお手ごろ価格。バリやプーケットなら120〜150ドルくらいする素敵な宿がその半分近くのお値段で宿泊できるのですから、ここは一発ゴージャスな宿に泊まってみましょうと、PLGにお願いして宿をあらかじめ予約しておきました。移動手段も飛行機。これは長距離バスに比べればかなり高価ではありますが、時間の限られた旅、致し方ありません。ただ、ミャンマー国内便はキャンセルや時間の変更がままあるとのこと。案の定、出発直前まで飛行機の変更がありました。しかしPLGさんに手配をお願いしていたので、変更の通知がある度に迅速に連絡して頂けました。
<ヤンゴン、美しき首都>
シンガポール経由でヤンゴンに着いたのは午前九時。空港から町まではタクシーで三十分ほどでしょうか。午前中の柔らかな光を浴びながら、美しい町並みをドライブ。街中に近づくにつれ、あちこちにバスを見かけました。おお、あれがヤンゴン市民の足かと眺めていたら……、あれ?「出口」「自動扉」「宮城交通」??何故か日本のバスが多いのです。私営バスの中古車両だけでなく、市営バスも見かけました。どういうルートでこの国に入ってきたのでしょう?もしやロンドンのダブルデッカーとかも?とあちこち見渡したのですが、これはありませんでしたね。
ヤンゴンではシュエダゴンパゴダ近くのサミットビューホテルに宿泊しました。このあたりは閑静で落ち着いた雰囲気です。一方、ダウンタウンのアウンサンマーケット近くは実に賑やか!マーケットには土産物や雑貨、生活用品、宝石、屋台が立ち並び、地元買い物客や観光客が所狭しと行き交っていました。活気があって楽しいですね。
ダウンタウンで昼食を済ましてシュエダゴンパゴダへ。まず巨大な黄金の仏塔に目が眩みます。仏足石、釣鐘、ナッ像、傘のレプリカなど、みな見事な造詣で、特に夕日を浴びて輝く黄金の祠は、暫し言葉を忘れてうっとりと見入ってしまいました。いやあ、ついに来たよ、ミャンマー。いい旅になりそうだ。そんな感慨に浸りながら、見よう見まねでミャンマー式のお祈りをしていたら、日本語を話すガイドらしき人が正しい祈り方を教えてくれました。これがなかなか難しい。ぎこちない仕草で何度もガイドさんの教えを乞いながらお祈りをしているうちに、不思議と心が安らぐようでした。
<バガン、悠久の遺跡群>
翌日は早朝のフライトでバガンへ。抜けるような青空、どこまでも続く平原に、時が止まったように静かに佇む仏塔や遺跡群。思い切り深呼吸したくなるような、緩やかで穏やかな時間。これですよ、これを待ち望んでいたんです、私は。
数ある遺跡の中で、外観の美しさではティーンローミーンロー寺院が際立っています。全体的に安定感のある角ばった造りでありながら、何層も重なり天へ天へと伸びる尖塔の繊細な美しさが印象的です。アーナンダ寺院は早朝あるいは午後がお勧めです。壁にはめ込まれた仏像が並ぶ二重回廊にはアーチ型の窓がいくつかあり、そこから朝の光、あるいは午後の光が差し込む姿は幻想的です。バガンの夕日を眺めるのはシュエサンドーパゴダ、ブーヤパーパゴダ近くの川沿いもいいですが、考古学博物館のすぐ前にあるパゴダが穴場です。(このパゴダの名前は忘れてしまったのですが……)ここから夕日と朝日を眺めました。オレンジ色に染まるバガンの雄大な平原を眺めていると、昨日までとは全く違う土地、全く違う世界、全く違う時間に迷い込んだような錯覚を起こします。のんびりと空を眺め、大地を裸足で歩き、風の音に耳を澄ませる。そんなごく当たり前のことだけど、それまで忘れていた貴重な時間を取り戻すことができます。
<ポッパ山、信仰の山>
バガン二日目はポッパ山に行きました。バガン空港で拾ったタクシーと通訳の方が、なんと偶然PLGのバガンスタッフ。他にもポッパ山に行くにはバスを使うという手もありましたが、折角だから行く道々で気になったもの珍しいものの話を聞いたり、ナッ信仰の物語を聞いたりするのも楽しいだろうと(料金も良心的でしたし)、このPLGバガンスタッフ、ハンさんとドライバーさんにポッパ山まで連れて行っていただくことに決めました。
朝九時ごろホテルを出発して、まずは近郊のヤシ農家の作業場へ。牛を引いてゴマを擂り、ごま油を作る作業を見せてもらったり、捥ぎ立ての椰子のジュースを頂いたり、砂糖椰子を加工して作った砂糖菓子や椰子酒を味見したりした後、作業場の一角に据えられた小さな休憩所でお茶の葉やナッツとお茶を頂きながら休憩しました。鶏が気儘に歩き回り、お喋りを楽しみながら女性達が砂糖菓子を作り、作業場の裏では男性達が椰子酒の蒸留に使う木々をのんびりと割っています。穏やかで、緩やかな空間。ただぼんやりと、何も考えずにそこに居るだけで、自分もその風景の一部になったような気分になってきます。このままずっと日が暮れるまでここに居たい、とも思ったのですが、今日の目的はポッパ山。根の生えそうな腰を持ち上げ、再び車に乗り込みました。
ポッパ山は霧や雨が多いそうで、霧が深い日は上まで昇ることができないそうです。幸いこの日は雲ひとつない晴天、長〜い回廊を野生のサル達と戯れつつ昇りました。頂上に着いたころは丁度正午、日差しがちりちり痛いほどです。しかしそこからの眺望はまさに絶景。遥か彼方の地平線まで続く緑の大地に思わず溜息が零れます。自然は大きいなあ、自分は小さいなあ、サルはすばしっこいなあ、お腹空いたなあと崇高さも凡俗さもひっくるめ様々な思いを抱きながら建物の中を覗けば、仏像が静かに微笑み返してくれるようでした。この切り立った崖のような場所に祈りの場を築き仏像を据えた人々の信仰心の深さが身に染みて、こんなところでサルを追い掛け回している自分はまだまだ修行が足らぬと痛感してしまいます。
<素敵なお友達>
ポッパ山から戻った日の夕暮れ時、夕日を見に行こうとホテルを出ました。バガンホテルの前には馬車ドライバーや物売りの子供達が行き交う人々に陽気に声を掛けます。その中を歩いていたら、いつの間にか両脇に十歳くらいの少年二人がちょこまか付いて来ました。「どこから来たの?」「どこに泊まってるの?」「これからどこへ行くの?」と、可愛い笑顔と上手な英語で話しかけてきます。夕日を見に行くところだと話すと、「川沿いに綺麗な夕日が見られるところがあるから、案内してあげる」と横に並んで一緒に歩き出しました。この少年、トントンとプッタ、他の子供達同様お土産売りなのかと思いきや、商品を取り出すこともなく、兄弟は何人いるの?とか、僕のお父さんとお母さんは漁師で夜の間漁に行くんだ、とかまるで初めて会った友達同士のような話ばかり。案内してくれたブーパヤーパゴダ近くにも物売りの子供達は多く、観光客を見つけるとすぐにお土産の絵葉書をもって走ってくるのですが、彼ら二人は川を指差して「エーヤワルディー川っていう名前だよ」とか「あそこのボートに乗って川くだりすることもできるよ」とか説明してくれるばかりです。夕日を眺めた後、そろそろ帰ろうかと歩き出すと、またいつの間にか二人は直ぐ傍に戻ってきて、「どこへ行くの?食事に行くの?美味しいお店知ってるよ、案内してあげようか?」と相変わらずサービス精神旺盛なガイド振りを発揮してくれます。実はトントンのお兄さんが馬車ドライバーで、お兄さんの紹介も兼ねて観光客に話かけていたみたいですね。残念ながらお兄さんは翌日既に予約が入っていて、彼の馬車には乗れな
ったのですが、代わりに彼の伯父さんの馬車を紹介してもらいました。それまでに聞き込みした何件かの馬車ドライバーより良心的な値段を提示してくれたので、翌日はその馬車で、トントンとプッタも一緒に遺跡を回ることにしました。このちびっ子ガイドは実に有能です。遺跡の説明をしてくれたり、しつこい土産売りに絡まれそうになったら助けてくれたり、朝日が綺麗に見える遺跡に案内してくれたり(朝五時三十分にホテルの前まで迎えに来てくれたんです!)、真っ暗で急な遺跡の階段を上るときには懐中電灯で足元を照らしてくれたり、石を使ったゲームを教えてくれたりで、一緒に楽しい一日を過ごすことができました。一日一緒に遊んでくれて、案内もしてくれて、嬉しかったから何かお礼がしたくて、セパタクローのボールを一つずつプレゼントしたところ、翌日早朝、バガンを出発する前にホテルの前まで見送りに来てくれて、お土産に、といって綺麗なブレスレットをプレゼントしてくれました!そのブレスレットはこの旅一番の思い出です。別れ際に「また遊びに来てね、僕たちいつもここで待ってるよ」そう言われたときには、嬉しくで胸が詰まりました。いつの日かここに戻ってこよう、またこの子達に会いに来よう―強く強く思いました。
<ナパリ、宝石の海>
バガンから飛行機で向かった先はナパリ。「地球の歩き方」にも乗っていない、ベンガル湾に面したリゾート地です。空港からホテルまでの道は小さな田舎町といった風情ですが、海岸にそって美しいリゾートホテル(すべてコテージ)が立ち並び、その前に広がるのは白い砂と青い海の美しいプライベートビーチ。昼間は海岸を散歩し、コテージ前のウッドデッキでお昼寝、夜は海岸に面したバーで海を見ながらカクテルを頂く……、なんてゴージャス。アジアが好きでこれまでも散々旅行をしてきましたが、こんな贅沢な旅は初めてです。夜の海の波の音を聞きながら、昨日までの旅の途中で出会った人々、目にした光景をあれこれ回想しては、一人思い出し笑い。あー楽しかったなあ。いい人たちが多かったなあ。いい国だなあ、ミャンマー。旅行に行く前は「危険じゃないの?」「自由に旅行できる国なの?」「大丈夫なの?」と何も知らない人たちから色々言われたけれど、その人たち全員に教えてあげたいなあ。ここはいいところだよ。ここは心を潤してくれる国だよ。ここは日本の日常生活で失ったものを取り戻させてくれる国だよ、って。などと、少々酔っ払いながら、残り僅かとなった旅の貴重な時間を味わっておりました。
さあ、ナパリ二日目。この日のお昼のフライトでヤンゴンに戻り、ヤンゴンに一泊して翌日16時のフライトで帰国する手筈となっておりました。ところが……「すみませんが、飛行機が遅れております」「申し訳ございません、飛行機が更に遅れる模様です」一時間毎にやって来ては、申し訳なさそうに頭を下げるホテルのスタッフ。そしてついに、「残念ながら本日のフライトはキャンセルになりました」。成る程、確かに空に雲は厚く風は強い、これなら飛行機がキャンセルになっても致し方ないか。しかしそんなこともあろうかと、国際線の乗り継ぎは翌日にしておいたのさ、私ったら用意周到。ほくそ笑みながら「じゃあ、明日のフライトに変更ね。明日のフライトは何時かしら?」「はい、15時です」「は?」「15時でございます」……えーと、シンガポール行きの国際線が16時発だから、チェックインが14時で、えーと、ナパリを15時の飛行機に乗るとヤンゴンに着くのが16時で、って、間に合わないじゃん。いやいやいや、15時じゃ駄目です無理です間に合いません、他の飛行機はないの?と時刻表を見れば、明日の午前にエアバガンのフライトがあるじゃないですか。これだ、これに変更だ、でもどうやって?
焦った私、こうなると頼れるところは唯一つ、PLG。ホテルの電話を借りてPLGのヘインさんに連絡して事情を説明し、飛行機を15時のエアマンダレーから午前九時のエアバガンに変えるよう手配してくれないか、と頼み込んでは見たものの、時刻はすでに17時。この時間から明日のフライト、しかも違う航空会社のフライトに変更なんて度台無理に決まっていることぐらいは分かります。ヘインさんも一生懸命交渉して下さったようですが、残念ながらお約束できかねます、とのお返事。ですよねー、って、でもそれじゃ困るの、明日の昼までにヤンゴンに戻らねば日本に帰れなくなってこのままこの国に住み着いて流浪の民となって水島上等兵になってしまう、そりゃ困る。「こうなったら陸路しかありませんね」「というと、車チャーターですか。この時間から、手配できますか?」時刻は既に7時過ぎ。「それは何とかします。ただ、陸路は多少時間が掛かるし、道もがたがたですが、大丈夫ですか?」「どのくらい?」「15時間」どっひゃあって、電話口でひっくり返ってみてももはやこれしか方法はない。嫌だといえば明日のフライトに間に合わずこの国に住み着いて流浪の民となって肩にオウム乗せて琴を弾く羽目になる。根性据えて、十五時間がたがた道を揺られてゆきましょう。というわけで、(それでもヘインさんは気を使って少しでも乗り心地の良い様にとワゴン車を用意してくれました)夜八時半、長〜い長〜いナイトドライブに出発しました。折りしも丁度カタン祭りの晩。通り過ぎた村々でお祭りの屋台や賑やかなパゴダ、小さな小屋芝居などを楽しむ人々の姿を眺めつつ、できれば少
し見学したかったのですがそんなことも言っていられず、ひたすらがたがた道を走り続け(とはいえ走り出して一時間もしないうちに爆睡し始めたのですが)ました。時折目が覚めると、町も村もない森のようなとろでした。月明かりに照らされ、夜なのに周囲がはっきり見えます。ああ、森の暗さってこんなに柔らかい色だったんだ、月明かりってこんなに明るいものだったんだ、夜ってこんなに静かだったんだ。そんな感慨に浸り、最初はがたがた道に恐れをなしていたものの、意外に楽しめる貴重な体験になりました。後から「車が故障しなくて良かったね」と言われ、初めて自分の呑気さに気がついたのですが……。
翌朝10時ごろ、全身筋肉痛になりながらも無事ヤンゴンに到着しました。町はカチン祭りで大賑わい。屋台や山車を見ているだけでも飽きないのですが、出発まではあと四時間。のんびりしている暇はありません。PLGの事務所に直行してもらい、そこで(土曜日だというのに!)待っていてくださったヘインさんに空港近くのホテルのデイユースを予約してもらいました。PLGの皆様、特にナパリからヤンゴンまでの車の手配をして下さったヘインさん、本当にお世話になりました。名残惜しい気もしますが、この埃塗れの姿で長時間フライトに臨むのはやはり辛い。空港近くのホテルでシャワーを浴びて食事をしていると、これでミャンマーともお別れかと悲しくなってきます。シュエダゴンパゴダで見た夕日も、裸足で歩いたバガンの土の感触も、トントンやプッタの笑顔も、ナパリの澄んだ海も、すべてが懐かしく感じられます。
ミャンマーという国は日本に情報が伝わってくる機会が少なく、伝わってくるときも政治が絡んだ話ばかりで、「自由に行動できない国」「怖い国」などと誤解されることが多いようです。実際にこの国の人々は日本にはない不自由さを強いられている側面もあるのですが、それ以上に日本には無い、ゆったりとした時間を味わうことができます。仏教と共に生きる人々は皆穏やかで親切で、自然は雄大で美しく、日本で時間に追われ情報に埋もれカラカラになっていた私の心を潤してくれました。もっと沢山の人々にこの国を訪れて欲しい、この国のことをもっと知ってほしい、そう願わずにはいられません。少なくともこの文章を読んでくださった方が、ニュースで見聞きする側面以外のミャンマーの姿を知っていただければ幸いです。
writtien by TAKANECO. |