024 サイクロンNARGISが上陸中のミャンマー旅
<5月2日(金)>
正午過ぎにインレー湖観光を終え、宿泊先のホテルへ戻った。ヘーホー空港15:45発のフライトでヤンゴンへ戻る予定であったため、
搭乗予定の航空会社にリコンファームしたところ、ヤンゴンに超大型のサイクロンが近づいているため、
5/3、5/4、5/5のフライトは各航空会社ともに全便欠航になったことが判明した。現時点では、
国際線のフライトへの影響はないことが確認できていたため、翌日に長距離バスでニャウンシュエ、
またはマンダレーからヤンゴンへ移動することも考えたが、約20社あるバス会社は相次いで運行をキャンセルしていたため、
PLGさんにプライベート・カーを準備してもらい、同じホテルに宿泊していた日本人他5名と専用ドライバーの計6人で
19時にニャウンシュエを出発した。ニャウンシュエは終日晴れていたため、この日の深夜にヤンゴンにサイクロンが
直撃するとは夢にも思わなかった。この日、ヤンゴンでは史上最大規模のサイクロンが近づいているため、外出禁止令が出されていたようだ。
<5月3日(土)>
5月3日から夜通しでヤンゴンに向けて走った。明け方、ヤンゴンに近づくにつれ、雨や風も強くなり始めた。ヤンゴンへ通じる幹線道路は所々で冠水しており、木や電柱が道路に倒れ、道路を塞いでいる場所も多々あった。倒れた木が道路を端から端まで塞いでしまっている箇所もあったが、車が通れるスペースがある場合は、その隙間を縫って車が通ることができた。倒された木は、根元から抜けてしまっている木もあれば、途中から折れてしまっている木もあった。また、倒れた木にぶつかった車、風で飛ばされた木がぶつかり、フロントが潰されていまっているバスも途中で見かけた。また、幹線道路沿いにある小さな村の家は、屋根が風で飛ばされてしまっていたり、倒れた木や電柱で下敷きになり潰れてしまっている家も多数あった。幹線道路は川沿いを走っている場所もあったが、幸いなことに、川が氾濫して洪水になっていることはなかった。朝の9時頃にヤンゴン市内に近づくにつれ、市内もサイクロンで崩壊していることが分かった。木や看板、電柱は根元、または途中から折れて道路に倒れ、道路は冠水している箇所が多くあった。
また床下浸水している家も多数あった。アジアンプラザホテルは、1階エントランスのガラス製自動ドアや、
レストランのウィンドウガラスは全て割れて跡形もなくなっていた。無事に、宿泊ホテルに到着することができ、
正午過ぎに、雨と風が止んだ。この時点では、2回目のサイクロンが近づいているとの報道があったようで、引き続き、
外出禁止令が出ていた。14時頃になっても2回目のサイクロンは来なかったため、ホテルから外出してみると、
少しずつ、市民や外国人旅行者が街を歩き始めていた。街では軍隊や消防が倒れた木や看板等の撤去を行っていた。
16時頃には、ダウンタウンの一部のレストラン(Suzuki Cafe等)では営業が開始されており、
レストランには人が殺到していた。明日の出国フライトのことが気になり、航空会社に電話したが
電話等の通信は遮断されていた。直接サクラタワーに向かったが、サクラタワーも閉鎖されていた。
17時頃に、
今日のフライトでヤンゴンを出国する予定の人達がTraders Hotel前に集まっており、その人達と空港へ向かった。
運よくタクシーに乗ることができたが、街中にはタクシーはほとんど走っていない。
空港はしまっていたが電気は点いていた。空港スタッフの人から、明日のフライトについては未定だが、
明日の朝6時に空港くるように言われた。空港には、Air Baganの機体が一機のみあったが、サイクロン到来前に
他の機体は全てマンダレーに移動したようだ。19時頃に、ダウンタウンに外出したが、真っ暗で営業をしている
レストランは一軒もなかった。宿泊しているホテルもマーケットに食材調達に行けなかったため、
食べ物は何もなかった。水やビール等の飲料水はあったので、助かった。翌日に空港に向かいたいので、
タクシー手配をホテルに依頼したが、引き受けてくれるタクシーはないため、自分でタクシーを見つけるように言われた。
結局、この日は2回目のサイクロンが来ることはなかった。ホテルの水道は24時間使うことができた。
ホテルの自家用ディーゼル発電機で発電し、電気は19時〜24時の間のみ使用できた。
朝6時に空港に到着した。昨日同様に、Air Baganの機体が一機のみあった。空港の送迎車用出入口は閉鎖されていたが、空港内への入口は開いていた。空港内の電気は点いていた。まず、Air Asiaの職員から本日のフライトは全便キャンセルになったことが告げられた。続いて、タイ航空の職員からもフライトは全便キャンセルになったことが告げられた。僕が搭乗する予定だったシルクエアーは、シルクエアーの職員から12:30にフライトの有無を最終連絡するとの説明があり、希望を持って12:30まで待った。結局、シルクエアーの職員もフライトは全便キャンセルになったことが告げられた。
5/3、5/4に搭乗する予定だった人達からは、振り替え便の有無、臨時の増便予定の有無について、また、ミャンマー出国後に経由地で乗り継ぎ便がある人達からは乗り継ぎ便の振り替え便も準備してもらえるか等について問合せが殺到していた。結局、国内外との通信設備が整っておらず、つまり国外と飛行機の発着連絡ができず、また管制塔も機能しないため、今日の午後1時から4時までの間に国内外との通信テストをして、テストが成功すれば明日の国際線のフライトがある旨を空港スタッフから説明があった。明日も、朝6時に空港に来れば、国際線のフライトの有無が分かるとの説明があった。正午過ぎに空港から市内へ戻る頃には、道路に倒れていた木や電柱、看板を中心にだいぶ撤去作業が進んでいた。今日は、多くのレストランが営業しており、昼食も夕食も食べることができた。閉まっているお店もまだ数店あったが、ダウンタウンの2/3程度のお店は営業していた。パゴダは、1週間閉鎖するとのことだった。
<5月5日(月)>
同じホテルに宿泊していた日本人、ドイツ人他12名程度で、昨日と同じタクシーで朝6時に空港に到着した。昨日同様に、Air Baganの機体が一機のみあった。昨日と違い、空港の送迎車用出入口は開いており、空港内への入口も開いていた。空港内の電気は点いていた。空港内に入ると、電光掲示板に今日の国際線のフライト情報が掲載されており、通常通りのフライトが運航されることが分かった。各空港のチェックイン・カウンターが開き、今日のフライトを予約している人と5/3、5/4のフライトを予約している人とが別れて並んだ。各航空会社ともに、当日のフライト予約客を除いた空席は少数のみしかなく、5/3、5/4のフライトを予約している人の中から、日付の早い順に、PPS(Priority Passenger Service)、ミャンマー出国後に乗り継ぎ便の有無、チェックイン・カウンターに早く並んだ順にウェイティング・リストに氏名が記載された。同じホテルに宿泊していた日本人、ドイツ人他12名は、皆、午前中の便に振り替えで搭乗することができ、それぞれミャンマーを出国することができた。各航空会社ともに、今日、または明日に臨時便を出す予定があるとの説明があった。
<5月6日(火)>
予定帰国日より一日遅れで、今朝(5/6)に日本に無事に帰国できました。結果的には、5/5のシンガポール行きシルクエアー便(10:10発)の空席に振り替えとして搭乗することができ、その後、5/6の1:05AMシンガポール発名古屋行きのシンガポール航空便に振り替えとして搭乗できました。
5/5の朝6時に、PLGさんにBeauty Land HotelUに迎えに来て頂けるとのことでしたが、5/4に空港スタッフから朝6時来れば5/5の国際線のフライト可否が分かるとの話を伺っていたこと、また5/4の時点でBeauty Land HotelUに日本人が10人程度集まって一緒に空港へ向かう約束をしていたので、日本人10人で5:30頃にBeauty Land HotelUを出発して、6時過ぎに空港に到着しました。勝手をして、御迷惑をかけて申し訳ありませんでした。Beauty Land HotelUに集まった日本人10人は、それぞれ搭乗したフライトはAir Asia、タイ航空、シルクエアーといったように違いますが、全員5/5の午前便に振り替え搭乗できました。
帰国後、日本でもヤンゴンを襲ったサイクロンのニュースが徐々に報道され始めました。死者や怪我人、また家を失った方が日々増えているニュースを見聞きし、大変残念に思っています。PLGさんのスタッフの方々、PLGさんのお客さん達は皆、無事でしょうか??
僕は5/5は6時過ぎに空港に到着していたこともあり、早い時間帯にチェックイン・カウンター前に並び、ウェイティング・リストに名前を載せることができました。その際、インレー湖からヤンゴンへのプライベート・カーで一緒に移動した他のPLGのお客さん(SさんやUさん、名前は分かりませんがタイ航空を利用されて渡航してきた夫婦の方)は空港内で見かけませんでしたので、大変心配していました。
サイクロン襲撃以降は、僕を含め、日本人のお客さんの為に毎日走り回ってくれて、ありがとうございました。凄く、心強く感じ、感謝しています。
<終わりに>
今回のミャンマー旅行では大変御世話になりまして、ありがとうございました。“お客様志向”で親切にサポート頂きまして、大変感謝しています。
お陰さまで、特にバガン、インレー湖、カックー遺跡を中心にミャンマーを大変楽しむことができました。バガン、インレー湖、カックー遺跡は感動モノでした。同時に、旅の中で、他の東南アジアの国々以上に、ミャンマーの人々の温かさや親切さを感じることができました。サイクロン襲撃という惨劇はありましたが、ミャンマーに行って良かったと思っています。今回は残念ながら、チャイテーヨには行けませんでしたが、次回もまたPLGさんにサポート頂いて、チャイテーヨに行きたいと思っています。
<帰国後の話しとして>
ヤンゴンからシンガポールへ出国するシルクエアーに搭乗した際、ヤンゴンを襲ったサイクロンを報じる記事(シンガポールの新聞社2社から出版)を機内の新聞で読み、被害の大きさ、サイクロンの規模の大きさを改めて実感した。日本では、5/6から新聞やニュース番組で、ヤンゴンを襲ったサイクロンについての報道が始まり、連日報道されている。上記の通り、5/3〜5/4の間は、国際線が欠航で誰も国外には出国できなかったこと、5/4の夕方くらいまで国際通信が十分にできなかったことで、日本での報道が遅れたと推測している。
カウンミャッウィンさん、ニャンリンさんを始め、PLGの皆さんへの感謝!感謝!
茨城県阿見町、日本財団、東京ミャンマー会、PLGが寄贈してくださった消防車が活躍していました。
Writtien by N.O
Photographs are taken by N.O,Mr.Imai Shoji & Mr.Shimizu
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<5月7日帰国された方のコメント>
私はヤンゴンにいなかったのでstormの2日後にヤンゴンに着いたのですが、現地での情報は曖昧でした。
一部では電機が復旧しており(工事に一件あたり$20)、水は消防車のような車から配水されていたので問題なさそうでした。ヤンゴンの人は皆何事もなかったように普通に生活しているように見えました。食料は一部のレストランでは2、3倍に価格をあげていましたが、通常の値段でやっている店もありました。タクシーはやはり2?3倍です。
残念ながらミリタリーを見たのは政府施設とモネスタリーの前の倒れている木をのこぎりで切っている姿だけでした。市民は自分たちの手で何とか町を復旧しているみたいです。皆が不満を漏らしながら海外からの支援を期待しています。現地の人の食料に対する危機感があまり感じられなかったのでそれを心配しています。
あまりお役に立てる情報ではありませんが、これが私の見たヤンゴンです。とにかく現地では情報が不足している為、都心部の人々の危機感がありません。ミャンマーは食料が豊富ですが今回の災害で受けたダメージは計りしれません。一日も早い復興を。。。
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