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025 2泊3日ダウェーの旅

2008年9月1日から、9月3日まで2泊3日の日程で、南の都市、ダウェー(タボイ)に行ってきました。ダウェーは、外国人にも開放されている観光地の一つですが、実際に訪れようとすると、準備はなかなかたいへんです。ダウェー旅行を思い立ち、ピンロンツアーさんに相談したところ、外国人観光客が訪問する場合、アクセスはヤンゴンから飛行機のみ。さらに1ヶ月前からの旅行申請が必要であるというお話でした。でも、手続きがたいへん、と聞かされると余計に行きたくなるのが人情というもの。
というわけで、ピンロンツアーさんにすべてお任せし、ダウェーツアーを決行することになりました。ダウェー行きの飛行機は月、水、土のみ運航のため、日程は2泊3日、そうでなければ5泊6日になってしまいます。小さな町であるし、外国人が観光できる場所は限られているので、2泊3日で大丈夫だろう、ということで、観光プランも作って頂きました。ミャンマーに飛び立つ前は気楽に考えていたダウェー旅行ですが、やはり、実際のところ、ダウェーへの道はなかなか遠いものでした。出発日は飛行機のエンジントラブルで、出発が数時間遅れ、またダウェー空港では、外国人なので、入国審査時の手続きにかなり、時間をとられました。空港の外に出られたときはすでに午後3時近く。さらに、ようやくたどり着いたダウェーの町は、あいにくの雨模様。こうしてダウェー観光はスタートしました。
小雨の降り注ぐ薄暮のダウェーの町並みは、それはそれで、なかなか風情のあるものでした。古都、ではないのでしょうが、英国植民地時代に作られたであろう西洋的な作りの役所や学校と対照的な寺院、パゴダ、そしてミャンマー風の民家に商家。時々行き交う乗合バス(バイク?)、緑色のロンジーで歩き回る生徒たち、が混じり合って、時代を数十年ほどタイムスリップしたような、不思議な情緒を醸し出しています。(参照)

写真1
写真1


写真2


 
ダウェーはミャンマーの南端タニンダーリ管区の中心的都市であり、「ダウェー人」と呼ばれる人々が多く住み着いています。ダウェー人はミャンマーを構成する少数民族の一つではなく、ビルマ族の一支族であると言われています。古くからここに住んでいる人々ですが、20世紀初頭に英国人によって書かれた書物を見ると、元々この地は、モーンの文化圏でモーン族の人々が多く住んでいたところのようです。しかし、その頃の文献にすでに、「ダウェー人」の存在が記録されているので、かなり以前から、この地は、ダウェーとモーンが共住する地であったと考えられます。ガイドさんのお話では、ダウェーは美男美女が多く、映画スターの中にはここの出身者が多いとのこと。なるほど、そう言われ、道行く人・出会う人々を改めて観察してみると、確かに、印象的な顔立ちの人が目立ちます。しかも、物言いの優しい、飾らない人柄の人が多く、ダウェーの魅力の一つは、この人々にあると思います。ダウェーの人々は、「見目麗しい」だけではなく「情けある」人たちでもありました。( )
さて、美男美女が住むレトロな町並みに目を奪われつつ、いくつかの史跡を回りました。印象に残っているのは、町中にあるシュエタンダーパゴダ。200年ほどの歴史があるそうです。ここの境内の売店で、面白い物を見つけました。これは、ダウェーを代表する有名な9つの仏像の写真です。(これのパゴダ・バージョンというものありました。)( 真写3)ダウェーでは、この9体の仏像を全部拝むと御利益があると考えられているようです。仏像は町中にあるものや、山の奥深いところに安置されているのもあり、これを全部見て回るのは、結構骨が折れる難業とのこと。ちょっと、日本の四国八十八カ所や西国三十三カ所巡りに似ているような気がして、ワクワクしてしまいます。納経帳とか持って回るんでしょうか。(外国人でもまわれるかどうかについては、残念ながら聞きそびれました。)続いて、ダウェー織りの織物工場を見学。ダウェー織りは、くすんだ色に矢絣のような幾何学模様を織り込むのが特徴みたいで、なかなか上品な色合いとデザインです。私たちもモスグリーンとネイビーの布を購入しました。


真写3


写真4

ダウェーでの宿泊先は、パールアカリホテル(Pearl Akari Hotel)、日本人には覚えやすい名前のホテルです。英国風の民家を改造したこぢんまりとしたホテルです。部屋は小さいですが、お湯も出るし、バスタブもあり、清潔で居心地の良い雰囲気でした。宿泊料は1泊30ドルくらいです( 写真4と写真5)。


写真5

翌朝は、幸い好天に恵まれ、ダウェーから車で1時間半ほど離れたマウンマガンビーチまで行きました。マウンマガンビーチでは、とにかく驚くほどきれいな海と紺碧の空に大感激!どこまでも続く真っ白な砂浜に、透明度の高い海、水平線上にぽっかり浮かぶ小舟。どこにカメラのレンズを向けても、絵になる風景がパノラマで広がっており、なんとものんびりとした気分になってきます(写真6)。


写真6


写真7

しかも、このパラダイスのような海岸にたたずむのは、我々一行以外は、数人の地元の若者たちだけ。ロンジーのまま海に飛び込み、楽しそうに波と遊んでいました(写真7)。なごやかな雰囲気の中、でも堂々と浜に打ち寄せる波は、やはり大洋のそれ。規則正しい、波の力強い低音が、アンダマン海の広大さを実感させます。なんとも言えない贅沢なひとときを過ごしました。


写真8

マウンマガンビーチの南に位置する小さな岬には、ミョージッパゴダがあります。このパゴダは、海に突き出た小さな島の上に立っており、岬からそこまで橋を渡っていきます。満ち潮の時は沈むのではないか、と思われる橋の上からは、水中を泳ぎ回る魚たちがよく見えます。それにしても、ミャンマーを訪れるたびに、人々のパゴダ建立にかける情熱に感心してしまいます。険しい崖っぷちから海中に至るまで、不可能に挑むように、人々はパゴダを立て続けているように思えます。ダウェーの人々も例外ではないようです(写真8と9)。


写真9

ダウェーの人々のパゴダにかける情熱をかいま見る、もう一つの機会にも恵まれました。シュエタン・リャウンというダウェーの寝釈迦像を見た後、突然、運転手さんが、ダウェーの町が見渡せる山の頂上のパゴダを見たいか、と尋ねてきました。同行のガイドさんも行ったことのないところだそうです。もちろん見たい!ということで、連れて行っていただくことになりました。狭い山道が昨日の雨でさらにぬかっており、かなりの悪路です。30分ほど上っていくと、小さな僧院があります。その僧院からさらに急斜面を登りつめ、もう車では行けないところまで上ったところに、僧侶たちのための宿泊所があります。ここで数人の僧侶が寝起きしながら、黙々とパゴダを作っているのです。宿泊所から階段を数十段上っていくと、ようやくアウン・マウン・パゴダにたどり着くことができます。その頃にはもうへとへと。でも、アウン・マウン・パゴダから見る景色は、まさに圧巻!雲がはるか下にあり、まさに「天空のパゴダ」という感じ。雲の切れ間から、鬱蒼とした緑と蛇行する川に囲まれたダウェーの小さな町が一望できます。今年65歳になる最年長の僧侶は、麓の小さな僧院から、パゴダ建立のためにこの地に出向いてから26年間、黙々とその生涯を作業に捧げてきたのだそうです。この山にはいくつもの洞窟があり、かつて大戦末期に日本軍が最後の戦いのために、これらの洞窟のうちのいくつかを利用し、塹壕を掘っていた、という話も伝わっているそうです。ダウェーの人々と日本とのかすかなつながりも、やはりミャンマーの他の地と同様に、戦時中にさかのぼるようです(写真10と11と12)。

写真10

写真11

写真12
前にも述べましたが、事前手続きの煩雑さ(私たちは、すべてピンロンツアーさんにお願いしたので楽でしたが、もし個人で行こうとすると、エライことになると思う)や、空路のみ、というアクセスの難しさも手伝って、ダウェーを訪れる外国人観光客は、非常に少ないようです。私たちが乗った飛行機も、乗客は我々以外は地元の人ばかりでした。でも、観光客がいない、ということは観光に値する場所がない、ということを意味するわけではありません。世界中には、何でこんなところにこんなに観光客が集まるの??って思えるような「行ってガックリ観光地」も数多くあるわけですし(どことは言いませんが)、それに比べると、ダウェーは、訪れて絶対後悔しない地であることは間違いありません。私たちの心を癒し、感動させる観光資源は豊富に存在し、あるいはまだ手つかずのまま残っています。2泊3日の駆け足の旅でしたが、予想以上に楽しく、そして癒され、いろいろ考えさせられたひとときでした。観光客がもっと増えて欲しい、この素晴らしいダウェーの風景、風情を、もっと多くの人に知ってもらいたい、と思う反面、このまま変わらずに、静かな町、優しい人々のままで居て欲しい、と願う気持ちもあり、なかなか複雑な思いです。でも、ミャンマーにハマりこんだ方々には、ダウェーの旅を是非是非おすすめしたいです。
最後に、今回のダウェー旅行の手配をすべて、かつ手際よく準備してくださった、ニャンリンさん、およびピンロン・ツアーのスタッフの方々に心からお礼申し上げます。たいへんなご苦労であったとお察しします。おかげさまで、たいへん印象に残る旅となりました。・・・また行きたい、っていったら怒ります(笑)?

橋本泰子