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016 前代未聞!ミャンマータンデム自転車旅行記 - 700km走破 !! -

はじめに

P.L.G のホームページをご覧の皆様、はじめまして。

今回のリポートは私が四苦八苦しながら日記を元に執筆いたしました。大変稚拙な文章で、お見苦しいと思いますが、最後まで読んでくださいましたら、大変光栄です。

さて、私は当時関東の某大学の激熱な部活に所属している大学三年生でした。どんな団体かというと、冒険という名の元に、各自思い思いに夢やロマンを追いかけてく団体とでも申し上げましょうか。

そんな団体に所属している僕は、今年の春休みの企画を考えるにあたり、ミャンマーを700キロほどタンデム自転車で周遊しようとする一見無謀な計画をブチ上げました。

タンデムじゃなくて、普通の自転車でいいじゃん?と言う意見もありそうですが、僕はそんな普通が嫌な人なのです。やるなら誰もやっていない、 "オンリーワン" なことをやってやりたい。そしてパゴダが点在するミャンマーの道を、砂埃を巻き上げつつタンデム自転車が爽快に進み行く、そんな情景を夢想し出したらもうタンデム自転車以外にまったく考えられなくなって行きました。

熟慮の末に決めたルートは、インレー湖をスタート地点とし、西に移動し、ミッティーラ、北上しマンダレー、また西に移動し、モンユワ、南下し、一番タンデム自転車で走ってみたかったバガンをゴールにするというもの。

ミャンマーのことをガイドブックやインターネットで調べると、行きたい場所がどんどんと増えて行きました。せっかく高い航空券代を払ってミャンマーに行くのだからそんな魅力的な場所を訪れない訳にいかない。それなら贅沢にもタンデム自転車で繋いじゃえー!!と言うことで今回の 700 キロに及ぶルートはめでたく決定されたのでした。

  しかし、ミャンマーと言う国は私達のような「普通でないことをしようとする旅行者」を身勝手に自由に振舞わすことを許してくれません。活動前にとっても大きな問題が 2 つ発覚しました。

"宿泊の問題と自転車旅行許可証の問題" です。

この問題を解決するためには、どうしても旅行会社さんにお世話にならなくてならないと言うことを悟ったので、今回の活動では P.L.G 社さんにお願いする運びになりました。

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その 1 、声援をうけながらの出発

イ ンレー湖のほとりにあるアクエリアスインと言う名の、とても優しいオーナーさんが経営してらっしゃる宿を、僕らのタンデム自転車活動のスタート地点とした。お願いするとバナナジュースを無料で出してくれるナイスな宿だ(僕らはうま過ぎて 2 杯ずつ飲んだ バナナジュースまじ最高!!)。

出発当日、早朝にもかかわらず、前日知り合いになった、若いバックパッカーとモノ珍しさから集まったミャンマー人、合わして 10 人くらいがガンバレーと言う声援と共に僕らを送り出してくれた。絶対にやり遂げてやることを心に誓った出発であった。

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その2 、ミャンマーの自転車職人

2 時間くらいポクポクした砂道を漕ぐと右前のペダルが故障、ほとんど漕げなくなってしまった。しかも工具を持ち出し自分らで直そうとしても直りそうもない・・・。 5 ヶ月考えてきた計画が、 2 時間で終了かよ!!と、かなり僕は焦りまくったが、少し押して行った先にあった自転車屋さんで見てもらうと手際良く修理してしまった。しかもお礼をしますと言ったのに無料で。この時はほんと自転車屋さんの親父が仏様のように思えた。

この時以外にも活動中、度々スポークが折れたりしたので、ミャンマー各地の自転車屋さんにお世話になったが、店構えこそ日本から比べたら貧弱だが、腕前はどこの自転車屋さんもピカイチであった。

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その 3 、カローでのちょっとおもしろい話

ウンジーから西を目指し断崖絶壁の下り坂をピックアップトラックを追い越すほどの猛スピードでかけ降り、大きな山を "40 度近い気温" の中 2 つふらふらになりながら越えて行くと、 1 日でカローに辿りついた。カローはコロニアル風の洋館が点在する落ち着いた雰囲気を持った町である。

"事件" はそんな愛すべき町で起きた。後輩のM子"ピンチ" に陥れる珍事が起きたのだ。

カローの某ホテルの部屋に案内され、私は疲れ果てているM子を宿に残し、一人でカローの町を見学しに行った。 そしてぶらりと町を見て周り、自分らの部屋に帰ってくると、若い女性従業員さんとM子が何か話をしている。しかも従業員さんは何か妙に馴れ馴れしい感じがし、距離も近い。そして増田の一杯一杯な感じの表情。僕は一瞬で何かM子が女性従業員に "狙われている" んじゃないかということを感じとった。が、しかし、おもしろいので気づかないフリをして普通に接するよう努めた。そして女性従業員が去った後、増田はセキを切ったように「佐伯さん!!私が後 10 分遅かったらほんと危なかったですよ〜!!」と自分のピンチだったことを切実に語ってきたのが大変おもしろかった。

僕らがこの時感じ取ったものは、この後女性従業員さんにカローの町を案内してもらった時にさらに強くなった。 写真を撮る時にこの女性はM子の首に手を回し、抱きつくようなポーズで写真を撮らせようとするのだ。その時の増田のカチコチに固まった表情たるや少しかわいそうでもあった、がおもしろくもあった〔笑〕 しかし今思えばただ単にからかわれていただけかもしない。もしくは、ミャンマー人女性にとっては仲の良さを示す普通の行為なのかもしれない。真相は定かではないが、今となってはなかなか楽しい思い出である。

その他にこの町ではミャンマー人の結婚式にもお呼ばれもした。結局この町を含め、ミャンマーでは二回結婚式に呼ばれ、只飯を食べさせてもらった。この国の人はかなり心が広いと思う。日本では見知らぬ外国人を結婚式会場に入れるなどまず考えられない・・・。

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その4、活動中の一番の喜び

転車を漕いでいて嬉しかったのは、老若男女、大人子供の区別無く、道行く人がほとんど皆、手を振ったり声をかけたりしてくれたことだ。中には家の中からわざわざ飛び出してきてくれたり、追いかけて走ってきてくれる人もいた。農作業中の女性は、はにかみながら手を振ってくれた。そして、何より癒されたのは子供たちの笑顔だった。見ず知らずの外国人とめずらしいタンデム自転車に見せてくれる屈託のない笑顔に自転車での疲れも吹っ飛んだ。 ミャンマーというお国柄を考え、一時期は真剣にタンデム自転車でなくて、目立たぬ普通の自転車にした方が良いのではないかと考えたが、あの時、弱気の虫にやられなくてほんと良かった。 普通の自転車では、あそこまで笑顔を見せてくれることはなかったと思う。

そして日本にいたころ、タンデム自転車なんて所詮金持ちの道楽にしか見られないとシニカルな意見を言った人に、あの光景、毎日を見せてあげたい。

ミャンマー人が僕らを歓迎してくれたことが、ほんと何よりも嬉しかった。

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その 5 、タントンさん溺れる

P
.L.G スタッフの方との道中のやり取りもとても楽しい思い出です。この活動中、ミッティーラとマンダレーの中間あたりにある、クメと言う小さな町にある、 P.L.G スタッフ、タントンさんの親戚の実家にお邪魔させてもらうことがあった。

そこで今だからこそ笑えることがあった。 ミャンマーの 2 月中旬はとても暑い。自転車での活動中も、昼の 12 時から 14 時くらいまでは日陰で休んでいたものだ。クメを訪れた日も漏れなくそんな暑い日であったので、もう僕はいてもたってもいられなく、川に泳ぎに行きたくなっていた。そこで、泳ぎに行くことをタントンさん、タントンさんの弟、ニャンリンさんのお父さんに提案した。 そして皆賛成してくださって、そうして男 4 人で川に泳ぎに行くことになった。

タントンさん家の近所の川でしばらく泳いでいると、タントンさんが川で "ニコニコ" しながら(僕にはそう見えた) "Help! Help!" と叫びつつ、 "ジタバタ" している。僕は、ははーん、さてはミャンマー流の "溺れたフリのジョーク" だなぁなんて思っていた。しかし、タントンさんの弟さんが、 "必死の形相" で助けに向かっている。僕はその時初めて、タントンさんが溺れているのはフリではなく、本当に溺れているのであると認識した。二人で助けに向かい、僕がタントンさんを支えている間に弟さんがタントンさんの足にからまっているヒモをはずしてくれて、なんとかタントンさんは溺れ死なずに済んだ。

いつもニコニコしていて、気さくなタントンさんだったので、溺れていることが瞬時に見抜けなかった。タントンさん、あの時は気づけなくてほんとすいませんでした。

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その 6 、黒くて大きな生き物

動も終盤を迎え、モンユワを抜けて、パコックを目指し、自転車で漕いでいる時、これぞミャンマーだ!!と言うような出来事があった。 相変わらずタンデム自転車でチャリチャリ漕いでいると、前方に人だかりが出来ている。 そこの横を通過した時、僕は "黒くて大きな生き物" を見た。

"「むっ あれはなんだ? 犬か? 犬にしては大き過ぎるなぁ。しかも背中が丸まってる。も、もしや 熊 !!」"

熊なんて動物園でしか見たことがなかった。それがなんと路上に熊がいるではないか〔笑〕しかも "二匹" いて、熊のすぐそばに、赤い袈裟を着た少年のお坊さんが棒切れを持って何やらしていることから、どうやらこのお坊さんが飼っているらしい・・・。

さすがにこの時だけは、ミャンマー人も僕らのことを相手にしてくださらず、熊に夢中になっていた・・・。 「お坊さんが熊を飼う国、ミャンマー」こんなミャンマーのキャッチフレーズはどうだろうか。

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その 7 、バガンに到達

コックから対岸へエーヤワディー川をフェリーで渡るとゴールのバガンはすぐそこだ。  必然僕らのテンションも上がるはずだった。しかしここからの道のりが本当に地獄。コンクリートは一切ない、一面黄色のポクポクした砂道を、登ったり下ったりして行く。

自転車のタイヤが砂にうまり、ハンドルが採られ、転倒した。増田は、自転車から落下し、砂道にダイブした。しかし俺はそれに気づかずに数メートル引きずってしまった。

振り返り、もがいている増田を見てめちゃくちゃ心配したが、そのままパタンと倒れて静かになったことから、あぁギャグが出来るほど余裕なんだなと思い安心した。案の定彼女は擦り傷一つなかった。

そこで僕は気づいてしまった。やはり、自転車はコンクリートの上を走ってナンボな乗り物であると言うことを。 出国前に考えていた、砂道を走るロマンは、実際に体験してみて、とてもしんどいモノであるということを、身を持って体験した。

そんな道を 15 キロくらい走ったと思う。そうすると、今まで走ってきた中で、かなり上位に食い込むような上質なコンクリートの敷かれた道が出現した。こうなると形勢は自転車に優位、丁度日も落ち始め気温も降がってきた。 そんな有利な状況の中、悪路を 680 キロほど走ってきて、かなり鍛えられてきた筋肉が四つのペダルをぐぃぐぃと爽快に漕ぎ進める。

そうこうしている内に Old Bagan のタラバー門が見えてきた。ゴールのシェサンドーパゴダも近い。 僕らのテンションも必然と上がり、「ゴールは近いぞ〜!後ちょっとで活動は成功だー!」なんてあたり前のことを叫びながら上機嫌で漕ぎまくる。

10 分くらいすると、観光客が多く集まっている、ピラミッドみたいな形のパゴダが見えてきた。物売りの少年や観光客に目をまん丸にして見つめられる中、僕らはゴールした。

そして、自転車を木に即効でくくりつけ、パゴダから少し離れた場所で、シェサンドーパゴダを見上げながら僕らはミャンマービアーでひそやかに祝杯を行った。

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P.L.G 社様へ

P.L.G 社の皆様、僕らの無理な依頼を真剣に聞いてくださり、引き受けてくださってありがとうございました。改めて御礼を申し上げます。

さらに、宿泊問題と許可証問題の解決のみの依頼と言う事を尊守してくださり、自尊心を奪わないような形で、約束通り協力をしてくださったこと、真に感謝しております。

ほんとにありがとうございました!! また遊びに行きたいと思います。

関東,某大学

激熱な部活に所属していた

SKでした!!