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ミャウー


山岳地帯にあるチン州の南、ヤカイン州の古都として、1430年〜1785年の間、都として栄え、今も教養遺産が沢山残っている町です。11世紀から13世紀まで建てられたバガンの遺跡と全く違った雰囲気です。バガンは赤土にレンガでできた仏塔や寺院が美しく、ミャウーは砂岩でできた仏塔や寺院が見事です。日本のお寺の雰囲気に近い、古くて地味な感じがします。主要な産業は農業、漁業と潮汲などです。4月に行われる、独特な水掛祭りと日本のお相撲と非常に近いスポーツも魅力があります。また、ヤカイン民族衣装のヤカインロンジーとミャンマー随一のガパリービーチはこの民族の自慢す。

 

行き方

おもな見ところ

他の見ところ

オプシュンナルツアー

買い物するとこる

   

食べるところ

泊まるところ

 

行き方
ミャウーは西海岸に位置し、空路や陸路両利用できます。ヤンゴンから シットゥエまで毎日運航されています。『乾季のみ』。シットゥエからミャウーまでは車利用でいけます。或いはシットゥエからミャウーまでボート利用も可能です。塩流れにもよりますが所要時間6:00〜8:00時間です。

おもな見ところ

Andawthein アンドゥティン寺院

ミャウーのアンドゥティン寺院は仏歯が安置されたパゴダを意味しています。有名なシッタウンパゴダの東北、約26mの所にあります。元々の寄進者はミンラヤーザー王で、1521年に作られたのですが老朽化したため、ミンヤーザージー王の手によって、1596年に修理されました。中にはお釈迦様の歯が安置されていると信じられていて、その仏歯はミンビン王の時代(1534-1542年)ごろ、スリランカからいただいたと言われています。この寺院は砂岩でできていて、四角い小丘の上に位置しています。南北69mで東西44mあります。

 
Dukkanthein ドッカンティン寺院

ドッカンティン或いはトゥッカンテインなどと呼ばれて、10mほどの丘の上に建てられています。太鼓のような平い形で、ミンパラウン王の手によって1571年に建てられたものです。ほとんどのミャウーの寺院や仏塔は砂岩でできています。この寺院も同じく砂岩と、天井には煉瓦も利用されていました。南北58m、東西61mの長さがあります。


 
Koethaung Pagoda コータウンパゴダ

コータウンパゴダ『9万の仏塔という意味』でピーシ丘の北、366mの場所に位置している。平坦な丘上で、周りには、田んぼばかりです。パゴダの上の部分は老朽化して、なくなってしまったのですが、残った下部は基盤の部分もいれて9mほど高さがあります。シッタウンパゴダ『8万パゴダ』に寄進者であるミンビン王、の息子、ミンティッカ王が1553年に寄進したパゴダです。 

伝説によりますとこのパゴダは雷が落ちて壊れてしまったと言われています。それはなぜかといいますと、お父さんの王様が寄進したパゴダ『8万』の数よりも息子の寄付したパゴダの数が多い『9万』になり、一万も数が多いから罰が当たったといわれています。でも、当時の建設技術的に考えてみますと、ラカイン州の仏塔はほとんど砂岩で作られたのですが、この仏塔だけはレンガと砂岩両方でできています。それにこのパゴダは占い師の予言により、どうしても6ヶ月以内に完成させないといけなかった仏塔です。但し、全ての材料はラカイン海岸から運んできたとも言われ、たった6ヶ月間では、材料集めには結構、ギリギリだったということもあり、このパゴダは数のわりには、かなりいい加減に出来上がってしまったのではないかと・・・だからこそ、簡単に壊れたのではないかとも考えられています。

ミャウー遺跡では最大のパゴダと言われていて、東西70mと南北76mの長さがあります。コウタウンパゴダはシッタウンパゴダと非常に似ています。歴史や建設のポイントどちらから見ても同じです。宗教的な建物である、寺院やお寺、パゴダなどを建てて寄進するという習慣は王の先祖達から手渡されてきてものだといわれ、先祖を尊敬して、彼らが作ったとおりに作ったと言われています。
 

Lawka Man Aung Pagoda ローカマンアウンパゴダ

ミャウーにはパゴダの名前の最後に〜マンアウンというのが付いているパゴダが5つあります。そのなかの一つで、ローカマンアウンパゴダといいます。ミャウーに 行く際、必ず参拝すべきという5つの中の一つと言われています。1676年に、このパゴダの境内で当時のオッカバラ王の出家式を行われたといわれ、現地ではローカムーパゴダとも知られています。このパゴダはカンダットゥダマラーザー王(1652〜1674)によって1658年に出来上がったといわれています。平地に建てられて、材料はセメントと、ちゃんと切り出された砂岩でできています。基盤は四角で、一面の長さが22.5メートルあります。このパゴダには壁もありまして基盤は91mと長さが30.5mほどあります。ウェサリーやマハムニへの古道はここから始まったと言われ。。金道と銀道ともしても知られています。
 
Lemyathnar Pagoda レーミャェナーパゴダ

ドゥッカンティンパゴダから約46mの距離に位置しているこのパゴダはレーミャェナー『四面』パゴダです。ミャウー王朝のミンソモン王が1430年に作ったパゴダです。ミャウー町ができた と同時に作られた大事な5つのパゴダの一つです。外形は四角ですが中では八角形になっています。テラスが四つあって、それぞれの角に小さい仏塔が建てられています。集会場の一面の長さは16.7mぐらいあります。内側の真ん中の部屋はドーム型で、周囲が24m、高さが21mあります。そこには28体の仏像があるといわれています。
 
Mrauk U Museum ミャウー博物館

ミャウーの新しい博物館は王宮跡の近くに位置しています。中にはウェーサリー時代、ラウンガラ時代とミャウー時代のそれぞれの遺物などが展示されています。仏像は同じデザインなどをまとめて展示しています。砂岩に彫られた碑文はサンスクリット語、ラカイン語とアラビア語などがあり、クリシュナ、ビシュヌ、菩薩などの神様の像や、コイン、楽器、陶器なども展示されています。ミャウーは昔のラカイン州の都でミャンマーの西海岸に位置しています。知的財産の豊富な町と言われています。ベンガル湾に面していて岩や砂岩が多く、ミャウーの人々はその岩や砂岩に碑文を彫りました。だからこそ長い年月を経ても、壊れずに残ったのではないかと考えられています。ラカイン州に考古博物館が開かれてから州民の人々も教養や骨董品などに興味を持ち、自分たちの民族の知識を一箇所で見学できるようになっています。そこには15世紀のウンティー神の像と8世紀のウェーサリ時代の仏塔のかけた部分なども見られます。それだけではなく、15世紀、ミャウー時代のビシュヌ、ウエーサリー時代のコイン『4〜8世紀』やミャウー時代のモチーフなども展示されています。ミャウー時代に使われていた食器などとミャウー王宮を発掘していた際に発見された陶器なども博物館で見られます。他には当時の守り神の像や8世紀のダニャワディ時代に使われたアナンダサンダラ碑文も見学できます。アナンダラサンダラ王とその先祖の65の詩も見学できます。15から16世紀に栄えていたラカイ ン州の知識や教養をまとめて見学できます。
 
Pitakataik ピタカッタイ『経典室』

ピタカッタイはトゥパーヨンパゴダのすぐ近くです。ミャウーのほかのパゴダと同じく入り口があって、通路があります。全体的に砂岩で作られている寺院です。外観にはフレスコなどで綺麗に飾っています。ミャウー町全体に経典室は合計33軒あると言われています。こういう経典室は仏教の経典を置くために造られたもので寄進者はミンパラウン王で、1591年に造ったといわれています。東西4m、南北3m、高さ2.7mぐらいです。外見は蓮の花で溢れている花篭の形にみえます。ミャウーには48件の図書館があったのですが、現在、この一つしか残存していません。平均降水量508oぐらいの地方なのでこの建物が再び見つかった時は深い森のなかでした。この図書館の中にはナラパティジー王(1638〜1645)がスリランカから譲り受けた三蔵経が保管してあったと言われています。このあたりは草も多く、図書館自体も窓がないため、沢山、蚊に刺されたということで、現地ではチンカイ図書館『チンカイ=蚊に刺された』として知られています。実はチンカイというのはラカイ語の(カラウン カイ)の誤読だともいわれています。カラウン カイ(チンカイ)城壁の近くにあるからとも言われています。
 
Shittaung Pagoda シッタウンパゴダ

ミャウーの王宮跡から北方、1キロしない距離に位置しているのがシッタウン『80000パゴダ』です。ミャウー王朝の時代最も力強かった、国民にはミンバージと呼ばれてた王様の寄進でした。ミャウーの北のほうの古い寺院の一つです。ミンビン王「1513-1553年」 の記録によりますとポルトガル人を追い出した後に作られたのがこの寺院だそうです。内側には迷路のようで、ある外人にこういわれたことがあると。。『この寺院はさらに要塞のような寺院』と。。実はそうではなくて国民の人々がお参りするため、それから王様やその親戚などのお祝いなど行われる際、利用できるように丈夫な砂岩などで作られて、トンネルのようです。現地の人たちはこの寺院のなかに84000数の仏舎利とともにその数の仏像が安置されていると信じています。この寺院の中まで入ってお参りすると終わりのないトンネルの中に入ったのと同感だといわれています。
 
Shwedaung Pagoda シュェーダウンパゴダ

シュエーダウンパゴダはいわれによると、とミンビン王「1531〜1553」の手によって建てられたと言われています。この地方で最も高い仏塔と言われ、ランドマークとなっています。丘自体は76メートルほどの高さがあり、王宮の東南に位置しています。仏塔は32キロほど離れたカラダン川からも見えます。仏塔の形は他のパゴダのように一番下の部分は四角いではなくて丸です。第一世界大戦の際、この丘は要塞として使われていて、いまでもその跡を見学できます。
 
Sekkyar Man Aung Pagoda セッチャマンアウンパゴダ

ミャウーの東方にあるこのパゴダ、ミャウーで有名な5つのマンアウンの一つです。スリスダマヤージャー王が1693年に造ったと言われ、ヤダナマンアウンパゴダの南方にあります。 このパゴダはセッチャー時代の後に名付けられて、2匹の鬼が仏塔を守っています。このパゴダの形は蓮の花のような形で12基の小さい仏塔に囲まれています。直径は73mで高さ35mほどあります。
 
Zina Man Aung Pagoda ジーナマンアウンパゴダ

この仏塔はパンディンタウン山の上にあります。崩れた王宮の南側にあります。パゴダの形は八角形になっています。ベースには頭の二つあるネズミの像がおいてあります。もう少し上のテラスに行くとまたネズミの像が二つあります。このパゴダはサンダトゥダマ王が1652年につくって寄進したものです。実はこのパゴダの南のほうに仏塔を建てたのですがサイズが小さかったからといって再び建てたのがこのジーナマンアウンパゴダです。
 
Yadanar Man Aung Pagoda ヤダナマンアウンパゴダ

ヤダナボンパゴダの東方に位置している八角形のパゴダがヤダナマンアウンパゴダです。このパゴダもマンアウンパゴダの一つです。1652年でできたといわれています。ヤダナという意味はミャンマー語では宝石や宝物という意味です。ミャンマーでは3つの宝物は仏様、お経、お坊さん『仏法僧』という意味です。その3つの宝物を偲んで作られたといわれていまして、高さ60mほど、幅16.4mあります。仏塔の中には白い洞窟があって長さは16.4、幅4mと洞窟の高さは3mあります。ミャウー時代の時はこのパゴダの北のほうで弓の競技や競馬などが行われたといわれています。
 
Mingalar Man Aung Pagoda ミンガラーマンアウンパゴダ

このパゴダも5つのマンアウンパゴダの一つです。このパゴダはサンダトゥダマラーザー王の息子、オッカラーパ王の手によって1685年でできました。材料としてはレンガの代わりに砂岩でできています。パゴダは四面とも塀があってそれぞれ入り口が一つずつあります。周囲は8本の小さい仏塔があり、その中にも仏像が1体づす安置されています。このパゴダにはミャウー時代の建設技術が沢山見られると言われています。このパゴダの東側の森の中の道を歩くと、昔の王女の王宮があります。当時の王様などは王子や王女を別居させることがあったといわれています。
 
Sanda Muni Buddha Image サンダームニ仏像

この仏像は現在、ミャウーのバンドゥラ僧院の中に安置されています。話によると、お釈迦様がまだ活躍されてた123年の時、ミャウーまでいらっしゃったと言われ、それ以来、ミャウーの人々の多くは仏教徒になり、仏像やパゴダなどを崇拝するようになったと。
大昔、サンダトゥリヤ王がこのラカイン州を治めていました。その時、ゴゥーダマ仏陀がミャウーへいらっしゃいました。当時の王様は、お釈迦様の代わりに崇拝できるように、仏像を作ってお釈迦様の魂を入れてくれるようにお願いをしました。お釈迦様は自分とそっくりの仏像を4つ作りました。それらは
◆マハームニ『マンダレー』
◆シュェーボンダームニ『 ピー』
◆ザルンピェードゥビャン『ザルン』
◆マハームニ(シットェー)
それでも沢山の金と宝石が残っていたので王様は追加に仏像5体も作れるほどでした。それらは、@サンダームニ、AクジャムニBセッチャームニCデーワムニDスーラムニなどです。この5体の仏像はマハムニの仏像(シットェー)を囲んでいます。ミンソゥモン王の時代にミャウーは都になりました。その王様はサンダームニパゴダを都と一緒にミャウーへ移しました。1852年には下ミャンマーはイギリス植民地の時でした。イギリス軍は全ての仏像を没収して、溶かして武器を作りました。そのニュースを聞いた国民達はサンダムニ仏像も盗られるおそれがあるからといってコンクリートで覆ってしまいました。それを見たイギリス軍はこの仏像はコンクリートで出来たものだと思い込み、幸いなことに没収されずに残されました。1988年の4月27日、バンドゥラ僧院のお坊さんがこの仏像の掃除をした時、仏像の顔や目の部分がかけてしまい、仏像は実はコンクリートではなくて、金属でできてたことがはじめて分かりました。1988年5月19日に全てのコンクリートを落として、実物のサンダームニ仏像を国民全員に紹介することができました。仏像の高さは1mと幅1.3mです。現地人の間で最も人気のある仏像です。

 
Yadanar Pon Pagoda ヤダナーボンパゴダ

ミンカマウン王とシントェー王妃の寄進で1612年にできたといわれ、アンドゥティン寺院の北側にあります。真ん中に大きい仏塔があり、回りは17基もの小さい仏塔で囲まれています。
 
The palace site 王宮跡

ミャウーに行くと、まず第一優先のスポットは王宮跡です。 厚い城壁が3重に作られて、王宮を守っています。ミンソーモン王がこの王宮を建てた時、地下のトンネルを先に掘りました。それから砂岩で壁を作りました。王宮の南の方にあるティンガナディ小川はいまでも見学できます。王宮の面積は1.2平方マイルあって、王宮の壁はレンガでできています。ミンバージー王の時代の1531年に元々の壁をもっと強くするために砂岩の壁を作ったといわれています。その城壁の長さ3.65mで幅2mあります。王宮の三面は掘りに囲まれています。
 
Laksaykan Lake レセィーカン湖

ジナマンアウンパゴダの西南にある、アノマ湖に並んでいるのがレッセィカン湖です。広さ40.4ヘクタールぐらいあって、湖の岸は2つの山とつながっていて、3.6mの高さのある、門が2つあります。西門はレッセィカン門としられていて、長さ4.2m、高さ5m と幅 2.4mあります。もし、南門から敵が入ってくるとしたら西門を開け、洪水を起こし、都を守っていたともいわれています。
 
他の見ところ
The Myatanzaung Pagoda ミャタザウンパゴダ

レーミャェーナーパゴダの北152mの距離に位置しているのがミャダザウンパゴダです。東の、ヤダザウンパゴダと西のミャダザウンパゴダと2つあって高さ12mぐらいあります。仏塔は砂岩でできていますが城壁だけはレンガでできています。ミャウー王朝のミンソーモン王のがこのパゴダを1430年に建てたと言われています。この2本の仏塔は同じタイプで周囲36.5mで15.2mの高さがあります。
 
The Mokseik Taw Pagoda モッセイトゥパゴダ

ミャダザウンの北91mの距離に位置して、30.4mの高さのある丘の上に位置しています。ミンソーモン王が1430年に建てたと言われています。昔の記録によるとミャウー町が出来た時、同時に作られた5つの大切なパゴダの一つだといわれています。
この丘にはテラスが二つあって、下のテラスには経典図書室があります。この図書室の100%砂岩でできています。メインの仏塔の高さ15mと基盤の周囲は30.4mあります。形は丸くて鉦形となっています。パゴダの東門の近くには長さ86cmある仏足石が置かれています。ただの足型であって中には108個の煩悩などは書かれていません。ミャウーの宗教的な建物のほとんどは王様の寄進でできて、仏教の勉強ができるような大きい僧院などには必ず図書館があります。

 
The Htuparyon Pagoda トゥパーヨンパゴダ

現地での記録によると、ミャウーの6代目の王様、ミンヤンアウンが1494年に建てたといわれています。1613年にはミンカマオウ王と王妃、シントェーが再建しました。ベースは八角形になっていて、ボディーは砂岩でできています。仏塔の周りの塀は修理できずにそのままです。塀の四つの角には頭が二つあるライオンの像がパゴダのお守りとして置かれています。現在、パゴダは完全に壊れていますがそのまま放置されています。でもミャウーが栄えていた時は、ここは参拝客で溢れていました。当時の王様のほとんどは自分が即位した後、常に、ここまで参拝に来ていたといわれ、参拝すると成功するパゴダとして知られていたようです。
 
オプションナルツアー

チン族の少数民族村

西海岸の古都、ミャウーまで、足を運べれば、後はチン族の少数民族村へ訪問するのはいかがでしょうか?ヤカイン州は北にチン州と陸続きになっているため、ヤカイン州に住み着いているチンの少数民族が見られます。ミャウーのホテルを朝、7時ごろ、出発し、スピードボートで約1:30時間ほどレーミョゥ川を遡ると顔に刺青を入れたチンの少数民族のチーチャウン村へ着く。若者の顔には刺青など入れていませんが、高齢者のほとんどは刺青顔。 このチン族の女性たちは耳飾の習慣もあったようで耳たぶには大きいな穴がいまでも残っています。周りの景色がとても綺麗で、木材や竹でできた筏の上で生活している人々や川岸の村人たちの生活風景もみられます。
 
買い物するとこる

正直いいまして、ミャウーにはお土産など買うような場所ありません。市民の市場が一つだけあり、日常生活に必要な家具、道具、寝具など売られています。食品なども手に入ります。海に面してる区域なので主に釣り用品などを売っています。

 
泊まるところ

ミャウーではいいホテルは3件しかありません。ミャウーホテルは政府のホテルで、民営ホテルはナワラホテルとつい最近開かれたプリンスゲストハウス2軒あります。プリンスホテルはエコノミーホテルで小さいですが外国人宿泊受付できるようにちゃんと免許を持っています。

Nawarat Hotel ナワラホテル
Nyaungpin Market Maruk U
Ph: 01 - 220649, 220630, 043-24601

Prince Guest House プリンスゲストハウス
Myaungbwe Rd: Ah-le-zay Qr:
Mrauk U.

Mrauk U Hotel ミャウーホテル
Yangon Sittway Rd. Mrauk U
Ph : 043-23060

お好きなホテルはリンクで選択できる。
 
食べるところ
基本的にミャウーではちゃんとしたレストランはありません。ヤカイン風のお店は2軒ほどありますが現地人向きです。
安全第一ですのでお食事はホテル側の言葉にあまえましょう。
 
ミャウーと周辺

Thandwe
タンドゥエ

タンドゥエは昔、イギリス軍にサンドウェーと呼ばれた町です。現在は南ミャンマーの重要な港湾町。サンドウェーはもっとも古い町で、昔はラカイン州の首都だったとも言われていて、当時はアラカンと呼ばれていた。ガパリービーチへ行くのにはサンドウェーが玄関町となり、空港もあります。この地域の面積は9800平方キロあります。西海岸とはいえますが山岳地帯ともいえ、なかには高さ1219m以上の山もある。結構雨も多いから平均降水量は年に580-1240mmぐらいです。タバコの栽培少しを除いての残りはほとんどお米の畑です。

Sittweシットェー

シットェーはカラダン川、ミュー川、とレミョー川の合流点である、河口に位置しています。ラカイン州の港である、シットエ町はカラダン川の河口に位置して、ベンガル湾に面しています。沿岸デルタは昔から今まで重要な港ととして確保されていました。この町自体は200年以上前から貿易の役割を果していました。イギリス植民地となった1826年以降もその役割は変わらず、国際交流や貿易はこの時代にさらに発展し。2隻の大汽船がカルカッタとシットエとの間毎日行き来していたともいわれています。

その近辺
パヤジー寺院Payagyi Temple
この寺院は町の中心に位置し、綺麗なガラスモザイクがあります。大きな座像があって、1900年ごろにできたといわれています。他のラカインの仏像と同じく、顔だけは金色で、体は銅でできているといわれています。
仏教博物館Buddhist Museum

ラカインスタイルの仏像見学に最高の建物です。2階建てで、ほとんどの仏像は高さ1メートル以下です。大体はミャウー時代を代表する仏像が多いのですが中でもウェサーリ時代の仏像などもあり、銅、銀、水晶や石化石膏などでできている仏像などもあります。インドスタイルの仏像やヒンドゥー教の女神の像もあります。タイの仏像が少しと日本の仏像、ミャウー時代の銀貨、土できているパイプ、占い書なども展示されています。入場料は無料です。
 
泊まるところ  

Sittwe Hotel シットェーホテル
West Sanpya Quarter, Near Ngapali Beach,
Ph : 23478, 21939

Noble Hotel ノベルホテル
In front of Museum, Kyapingyi Quarter
Ph : 23558

Shwe Thazin Hotel シュェータジン ホテル
No.250, Lan Ma Gyi, Kyapingyi Quarter
Ph : 23579, 23947

Place Hotel パレスホテル
Lan Ma Gyi, Yupa North Quarter
Ph : 21657

May Yu Hotel メーユホテル
Kannar Road, Kyapingyi Quarter
Ph : 21557

Prince Guest House プリンスゲストハウス
No.27, Lan Ma Gyi, Yupa North Quarter
Ph : 21395

Shwe San Ein Guest House シュェーサンエィン ゲストハウス
Lan Ma Gyi, Kyapingyi Quarter
Ph : 23827

Aung Guest House アウンゲストハウス
Lan Ma Gyi, Maw Late Quarter
Ph : 21224

Kiss Guest House キッスゲストハウス
Lan Ma Gyi, Yupa North Quarter
Ph : 21251

Kissapa Guest House キスパ ゲストハウス
U Oattama Road, Yupa South Quarter
Ph : 23990, 21655

Nine Star ナインスター
Yeytwin Street, Near the museum, Kyapingyi Quarter
Ph : 21927

Seikkanthar Guest House セイッカンターゲストハウス
Kannar Road, Near Bank, Kyapingyi Quarter
Ph : 21122

Mya Guest House ミャーゲストハウス
Bawdi Road, Kyapingyi Quarter
Ph : 21888

Sanpya Guest House サンピャ ゲストハウス
Corner of Yeytwin Road & Shwe thar Road, Kyapingyi Quarter
Ph : 21884

View Point Guest House ビューポイントゲストハウス
Kannar Road, Kyapingyi Quarter
Ph : 21959

Shwe Pyitan Guest House シュェーピータンゲストハウス
Min Bargyi Road, Kyaung Tatlan Quarter
Ph : 21487

Myawaddy Guest House ミャワディーゲストハウス
Akauk Yone Road, Kyapingyi Quarter
Ph : 21169

Cupid Guest House チューピッド ゲストハウス
Kannar Road, Kyapingyi Quarter

お好きなホテルはリンクで選択できる。

 
食べるところ  
City Pointシティーポイント
42,Strand Rd.Sittwe
Tel: 043- 23660

City Point Music Restaurant シティーポインミュージック
1,Shukhintha St.,Sittwe
Tel: 043- 23814

Moe Cherry Restaurantモーチェリー
Highway Rd., Sittwe,
Tel: 043- 23315
Kyaukpyuチャウピュー

チャウピュー町は西ミャンマー、ベンガル湾の東岸に位置しています。ランミー湾のすぐ南のほうに位置し、ヤンゴンの西北400キロほど離れています。町自体はカルカッタとヤンゴンとのお米の貿易町として知られています。1983年ぐらいの調査によりますと人口は約20万人です。チャウピューは西海岸にあるラカイン州の町の一つです。ベンガル湾の東岸に位置しています。 チャウピューあたりは沢山の島があり、中でもランミー島やチェドゥバ島などは大きい島としてしられています。 アン谷のルートは重要な交通ルートになり、海抜1422mmほどあります。森林などもあり、ヤカイン山脈の650平方キロは価値のあるチークの森林で囲まれています。チャウピューには沢山の死火山などもあり、天然ガスの種類などもとれます。